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  • 2017.02.11 Saturday
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一宮町郡茶利山1

 一宮町東浪見(とらみ)の郡茶利(ぐんだり)山です。まずは郡茶利踏み切りです。

外房線です。

踏み切りを山のほうへ向かえば鳥居があります。

鳥居の先は東浪寺です。お寺にに鳥居とは??これは他の神社の鳥居なのか分かりません。

階段を登れば

薬師観音堂です。

この東浪寺は他のサイトを見ると、立派な山門などが見られますが、私はこの質素な堂しか見つけられなかったです。
ここは写真が多いので二回でやります。

新潟県発二日酔いまでの後悔街道小滝駅

 はじめての新潟県からです。とは言っても、2011年秋にビーナスラインに言ったときに本当に無理やり新潟まで足を延ばして撮ったものです。大雨で道は細く、急カーブ峠道なのに地元の皆さんのスピードがあまりに速く、あおられながら、しかも実は寝ていずにいい加減疲れ果てて、とりあえず駅がありそうだから曲がってしまおう。とたどり着いたのが大糸線の小滝駅です。

ウィキでみてみれば1日の平均乗車人員は2人としびれるくらいのローカル駅です。

千葉県にも小湊鉄道や銚子電鉄などローカル線はありますが、ここには勝てないです。

そう言えばここに置いてある日記にここ大糸線を引退した列車がいすみ鉄道で活躍していると書いてあった記憶があります。その意味では凄いぞいすみ鉄道です。

この本数の少なさは千葉県ローカル線も勝てません。

この場に居て寂しいの極みの駅だと感じました。



人工ですが水が滝となって流れています。この高低差が千葉県に無いものですね。

そして置き去りになっている橋桁?があります。これはなんだろか?と一人想像する旅の楽しみは多分あまり理解はされないでしょう。

全く先入観が無い場所での写真って新鮮でいいものなのですけど、皆様方は違うみたいです。個人的には多くの人が集まる場所に行って、決まりきったものを撮っているように見えます。とかまたやばい発言をしたようでこの辺で退散いたします。では。

市川江戸川水門

 市川市河原からです。行徳橋の横道と言ったところです。これは江戸川河口出張所です。


旧江戸川の水門です。

千葉県と東京を結ぶ歩道にもなっていて結構人が行きかっていたです。


もうここは東京都の篠崎です。

うーん。随分苦労して撮ったのに何か下手です。ここは撮るのが難しい場所なのでと思います。以上市川からでした。


意味も無く松ぼっくり。

 ただとりあえず更新です。

まつぼっくり以外はもっとぼかしたほうがうまく見えたのではないかと思いますが、普段は風景がメインですので、絞りを強くする癖がついています。

そろそろカメラと被写体と格闘していたころが懐かしくなってきました。今年はカメラを持ち出して外で撮ったのが、雪の次の日の一回だけです。もうどこかへ行かなければなりません。しかし一回だらけると復活には気力が必要です。これって仕事においても、普段の生活でも一緒ですね。

印西市山田干拓双子公園

 印旛沼のほとりの双子公園には親子の象の像がいます。1966(昭和41)年6月にこの地でナウマン象の化石が発掘されそうです。なのでこれはナウマンですが、現代の象とナウマン象と区別がつきません。

この日は夏でいい天気で雲が良かったので、メインは雲です。この丘に登ると印旛沼が見えます。

ちなみにplフィルターをつけて撮っています。

暑い日だったのを真冬に思い出しました。

匝瑳市中台脱走塚

 匝瑳(そうさ)市中台にある脱走塚です。撮った日は昨年の桜の時期です。


明治元年十月六日、当地において水戸藩内部の諸生派と天狗派の抗争に終止符が打たれた。明治元年十月一日水戸城で敗残兵となった諸生派一行九十余名は、銚子、飯岡を通り十月三日八日市場村に着き福善寺に寄った。彼らを追ってきた天狗派は、五日夜寺に火を放ち六日松山地区に逃れた諸生派は、一戦を交えた。この戦いで諸生派三十余名が戦死し、首は塩漬けにし竹やりに刺して水戸へ持ち帰ったという。首無しの死体は村人の手により葬られ脱走塚の名称がつけられた。そうで、ここに首を切られた数十名の遺体が眠っていると思うとちょっと怖くなりました。

慰霊碑です。

キリストの立派なお墓もありました。水戸藩諸生派はクリスチャン派閥だったのかと思いますが、分かりませんです。

気にしなければ通り過ぎてしまうような場所ですが、そんな所にも歴史があるものだと実感しました。

千葉港の夜

 千葉港でからです。jfeスチールのほうを撮っています。たまに煙が上がります。


ちょっと色が出すぎです。

釣り人に睨まれながら撮りました。

冬の癖によく降る雨ですね。

栄町安食大鷲神社2日本一!の

 前回の大鷲神社の会談階段を下りました。


何か意味ありげな建物があります。

魂生神社です。

中にはどんと物体がありました。

この魂生神は高さ2.5m周囲2.3mで日本一の大きさだそうです。

ほかにもなまめかしい?棒がありました。

ここでこけしを買って安産祈願の言葉を書いて置いてあります。一体700円です。
他には子授アメの男根の形をした一風変わったお土産として有名なんだそうです。

12月の酉の市では木製のご神体が町内を練り歩くそうです。
他の方のサイトを見ると酉の市は色々なイベントがあって、盛り上がるようです。

印旛郡栄町安食大鷲神社

 前回の安食交差点の背面の丘には神社があります。大鷲神社です。

どうしても龍と言いたい栄町です。やばっ。また抗議を食らいそうです。

神社入り口のこの建物は今は何にも使われていないような感じです。地図で見たら栄町商工会館となっていました。移転?だとすると、どこに行ったのか。閉鎖?それともこの時は使われていないで、ある時期?になったら稼動するのか分かりませんが、なんにしろ想像力が掻き立てられる場所でした。

では大鷲神社の鳥居です。

この急な階段を登りました。

現存する本殿は凝宝珠金具の刻銘により天保2年(1831年)の造営とされ、栄町の有形文化財に指定されている。そうでかなり古いものです。そして江戸時代には徳川家光の乳母春日局の崇敬を受けた。家光がまだ竹千代といっていたころ当社に竹千代の出世を祈願し、三代将軍になると報恩のため、将軍の御座船天地丸の金色の鷲をもらいうけ献納した。古くから出世開運の神として尊崇を集めており、毎年12月の初酉の日から3日間の酉の市には福を願う多くの人々が訪れ大変な賑わいを見せる。(すべて出所はwikiより)なかなかに歴史と威厳を兼ね備えた神社です。


個人的にはこの社務所が印象に残っています。ここを潜って

階段を下ればこの神社の本性?が見えてきます。

その本性とは?次回乞ご期待です。って誰も期待してないのは重々分かっております。でもここは大人なら取り上げるべきだともう一回やります。

栄町安食交差点から

 印旛郡栄町の安食交差点からです。ここのあたりはかつて利根川水運の河岸として栄えたそうです。印西市木下や我孫子市布佐などもそうです。そのような町は古い町並みが残っていて興味深いです。

しかしここは歩道もなくて、車の量も多いのでゆっくり写真を撮っていられません。車が居ない隙間に急ぎ撮りです。

奥が時計屋さんで手前は旅館です。

鉄道が出来るまでは、ここは人の往来で賑わったのだろうと思います。

次回はこの交差点の奥にある大鷲神社を載せます。

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