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- 2017.02.11 Saturday
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真忠組(しんちゅうぐみ)は、幕末期に囚人達が中心となって、房総半島・九十九里浜片貝地方で結成した尊皇攘夷派の民間団体。武士が指導する貧民の団体が、次第に九十九里一帯(北は八日市場から南は茂原まで)の貧民を組織していく中で変質していき、明確に「世直し」を掲げた。そのことをもって、真忠組を在野の自由民権運動の先駆けとして評価する識者もいる。
文久3年(1863年), 12月4日上総国小関新田の大村屋旅館を接収して「真忠組義士旅館」という大きな表札を掲げて本拠を置いた。これが真忠組としての始まりとなり、その時点で組員87人で武士は三浦帯刀、楠音次郎ら5、6人に過ぎず、ほとんどが無宿者や浜地の下層民出身者で構成された。当初は、水戸天狗党の影響を受けた尊皇攘夷運動として開始されたが、当時の他の尊攘グループのように名家や公卿の支援を受けることなく、九十九里地方の豪商や豪農、網元から「強請」してその金を貧困にあえぐ農民、漁民に分配した。
そのように、次第に貧民救済の義民的運動の色彩を強め、「世直し」を掲げるようになる。元治元年(1864年)1月17日、福島藩、一宮藩、多古藩、佐倉藩らが藩兵1500人を動員して真忠組の三拠点を攻撃。その結果真忠組は、1日で壊滅した。(ウィキより)
うーん。なにか義民になりきれなかった集団なのでしょうか。よくは分からないです。
偶然見つけた真忠組のお墓です。
他のものよりも大きく立派でした。
お目当てだった片貝漁港は後回しになりました。
船の先が長いものが多かったです。波の荒い九十九里ならではなんだと思いました。多分。
この写真は昨年2009年の九月のものです。他にいよいよ未掲載分が一年以上前のものが出てきだしました。せっかく撮った写真ですので、遅れてもいつかはこのブログに載せていきたいです。