categories

archives

ランキングでアクセスアップ

旅の格安予約

マップル地図丸運営予約サイト

旅はJTBです。

パソコンに車での旅 どっちも目が疲れます。

人気ブログランキングへ



デジカメと周辺機器

デジカメの予備バッテリー

ブログランキング 地域

人気ブログランキングへ
 
| 1/1PAGES |

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

  • 2017.02.11 Saturday
  • -
  • -
  • -
  • -
  • -
  • by スポンサードリンク

九十九里町宮島池

 前回の面足神社の先にある、

宮島池です。宮島池公園として整備されています。


ぐるりと一周してみました。



ここにも廃屋がありました。

もう夕方です。カモたちもお休みの準備です。

ここは釣りをしてもいい公園みたいです。鮒が釣れるようです。

九十九里町も二桁更新となりました。千葉県どの市町村も最低10回は載せる。の目標もあと少しです。

九十九里町田中荒生メンタル神社

 九十九里町田中荒生の面足神社です。

メンタルとは勝手に読んだだけで、本当はおもたると読むようです。九十九里のほうに多い神社です。


この神社の奥は整備したかったけど、途中で置き去りになった感がしました。


廃屋もありました。

この先は宮島池です。次回にやります。

片貝海岸の秋

片貝海岸です。

だーれも居ない海です。

ところで私は海の写真を撮っていると、すぐに飽きると何度か書いています。海と言うか波を撮る場合は、船がいたり鳥が写ったり、断崖などの地形が写らないと単調になりがちかと思います。そして単調な海の最もたる海が九十九里浜です。そして、それを本能的?に知っているので、無理やりの変化がある場所を選んで撮っているのに後から気が付きました。



これは海の家のあとでしょうか。


ここで写真を撮っていたら、

浪打際に仲睦まじき、老夫婦がやってきました。写真右側です。でもちょっと見えないですね。125mmのレンズでは足りないです。こんな時にもっと望遠のきくレンズが欲しくなります。

さて、海といっているのに海沿いに行かずに、ズームレンズで撮っているのが分かりますでしょうか。随分と楽をした写真です。ここではないですが、近々本当に浪打際すれすれまで行った写真も載せようかと思います。

九十九里 伊能忠敬記念公園

 九十九里町小関の伊能忠敬出生の地記念公園です。この公園の大型バスの駐車場へ車を止めてしまったので(ちょっと離れている)案内看板に従って歩いて行きました。

九十九里地方と言えば、私はこの槇の生垣を思い出します。

和風の家屋があったのであやめと一緒に撮ります。この公園のトイレでした。

伊能先生と言えば香取市佐原の印象が強いようですが、九十九里町で生まれ11歳までここで育ち、佐原の伊能家の養子になりました。


和風の公園です。

縮小ソフトにかけたら色が強く出すぎてしまいました。

測量の光景が描かれています。

歩いて日本地図を作り上げるのはやはり凄いことです。この大事業を51歳から始めるって平均寿命が何十年も延びた現代でも考えられないものだと思います。

伊能先生と猫です。

千葉県で生まれ育ち、千葉県のブログをやっている以上、伊能忠敬を触れないわけにはいかないと思い、天気も良くなくて出来も悪い写真ですが載せます。
私は伊能忠敬こそ、nhk大河ドラマの題材にふさわしい方だと思います。

九十九里元禄津波慰霊碑

 山武郡九十九里町不動堂の元禄津波慰霊碑です。

本当に地味に気にしていなければ通り過ぎてしまうような場所にあります。

しかし元禄津波は房総半島沖が震源で震度は8.2ににもなり、海水は沖合いに引き四キロも干潟になったそうです。その中でも九十九里浜が一番被害を受けて二千三百人以上が水死したそうです。

九十九里町 龍宮大橋

 昨年の春に八街に行ったのですけど、その時に九十九里にも行きたくなってカーナビでどこかいい所はないのかと探せば龍宮大橋なる見逃せない橋を発見しました。

作田川にかかる橋です。

参った。やられたと思いました。何か言われがあるのかもしれませんが、この橋だけを見たら龍宮とは程遠いです。

下流には九十九里ビーチライン(と言う名の旧道)からも見えるこの橋があって、実はこの橋を龍宮橋と言うのだろうと予想してました。

そしたらこれはなかよし橋でした。

この変わった橋はなんと歩道の橋でした。

この場所は海から500mなのですけど

まだ海の蟹がいました。写真ではよく分かりませんが、甲羅が五センチ位の結構大きい蟹が逃げ遅れて私の遊び相手になりました。

そしてそんな場所のすぐ隣は水田です。なのでここの辺りは田んぼに海の蟹がいたりします。何てこと無いのかもしれませんが、私には不思議な感じがしました。

何故か季節外れの写真を載せている一月ですが、まだ続けます。この機会に少しでも載せ残しを減らします。



九十九里町役場

 ここのところ千葉県でも東京湾側の写真が多かったので、バランス調整の意味で九十九里です。
本当はこっちの写真で出していないのもかなりあるんですけど、気合が乗っていないので今回は手抜きの九十九里役場です。古い町役場です。

撮ったのは10年の1月ですからもう約2年前のものです。

カメラは私の最初のカメラでペンタックスe30と言うコンパクトデジカメで乾電池式で700万画素の今となっては時代遅れ?のカメラですが、改めてみると白とびも黒潰れもしていないです。そしてパソコンで拡大しても細部まで解像されています。何台もカメラを使ってきた今でもなかなかいいカメラだったと言えます。そう言えばこのカメラで撮る桜の色は低感度に限り一番いい色でした。

と気が付けばまたもやカメラの話をしていました。

九十九里片貝真忠組

九十九里ビーチラインと言う名の旧道を走れば、長い九十九里浜では珍しい漁港があります。片貝漁港です。目印は作田川にかかる、
 
九十九里橋です。漁港の写真を撮ろうかと思えば、

竹久夢二誌碑、真忠組志士の碑の看板がありました。竹久夢二さんの名は知っています。待てど暮らせど来ぬ人を宵待ち草のやるせなさの。の詩を書いたお方ですね。画家とても大正浪漫を代表するすごい人なんですね。そして恋多き男性だったようでもあります。
しかし、千葉県で生まれ育った私なのに真忠組と言うのは知りませんです。

この石碑を見ても分かりません。よって帰ってからネットで見てみました。

真忠組(しんちゅうぐみ)は、幕末期に囚人達が中心となって、房総半島・九十九里浜片貝地方で結成した尊皇攘夷派の民間団体。武士が指導する貧民の団体が、次第に九十九里一帯(北は八日市場から南は茂原まで)の貧民を組織していく中で変質していき、明確に「世直し」を掲げた。そのことをもって、真忠組を在野の自由民権運動の先駆けとして評価する識者もいる。
文久3年(1863年), 12月4日上総国小関新田の大村屋旅館を接収して「真忠組義士旅館」という大きな表札を掲げて本拠を置いた。これが真忠組としての始まりとなり、その時点で組員87人で武士は三浦帯刀、楠音次郎ら5、6人に過ぎず、ほとんどが無宿者や浜地の下層民出身者で構成された。
当初は、水戸天狗党の影響を受けた尊皇攘夷運動として開始されたが、当時の他の尊攘グループのように名家や公卿の支援を受けることなく、九十九里地方の豪商や豪農、網元から「強請」してその金を貧困にあえぐ農民、漁民に分配した。
そのように、次第に貧民救済の義民的運動の色彩を強め、「世直し」を掲げるようになる。
元治元年(1864年)1月17日、福島藩、一宮藩、多古藩、佐倉藩らが藩兵1500人を動員して真忠組の三拠点を攻撃。その結果真忠組は、1日で壊滅した。(ウィキより)

うーん。なにか義民になりきれなかった集団なのでしょうか。よくは分からないです。

偶然見つけた真忠組のお墓です。

他のものよりも大きく立派でした。

お目当てだった片貝漁港は後回しになりました。

船の先が長いものが多かったです。波の荒い九十九里ならではなんだと思いました。多分。

この写真は昨年2009年の九月のものです。他にいよいよ未掲載分が一年以上前のものが出てきだしました。せっかく撮った写真ですので、遅れてもいつかはこのブログに載せていきたいです。


九十九里豊海海岸 朝日

 県立九十九里自然公園豊海海岸からです。1月24〜27日の金欠旅行の一泊目は、ここの近所で車中泊でした。疲れてたけど寒くて早くに起きてしまい、するともうすぐ夜明けとなる時間でした。急いで、撮影に適した場所を探して移動してここに着きました。
このブログで始めての朝日です。自分でも朝日の写真ははじめて撮りました。

待っていたらいよいよ日が昇りました。

700万画素カメラの撮影です。

こっちは1200万画素のカメラのものです。ともにiso?を一番下げていますが、随分写りかたが違います。もう少し赤く写ればこっちのほうが実際に見たのに近いです。

寒いせいかもわもわと湯気が立っていました。なんかいい感じでした。

オレンジに染まるビーチタワーです。

この寒いのにカップルがタワーに長時間いました。楽しそうでした。

嗚呼〜九十九里浜〜 望郷の砂漠

九十九里浜の蓮沼付近の浜だと思います。
こうやって見ると寒い砂漠って感じがします。


この日は雨こそ降っては居ないものの、厚い雲で日差しは完全にありません。

房総方面。

銚子方面。

波も荒れてました。
私は千葉のどこでも行きますが、その中でもこの九十九里方面が一番縁が少ないです。
人ごみを避けるためにいつも時期はずれに来るんですけど、ここに来ると演歌の世界に入ってしまいます。越冬つばめとか悲しみ本線日本海とか。それはそれでいいんですけどね。なにも無いから気が散らないから思いつめる時にはいいかもしれません。
それにしてもここは次には最低限晴れてるときに来ます。
それとこのあたりを探索していたら、マニアックだけど面白いところを発見しました。
そのうちに載せますね。穴場で安くておいしい食堂も偶然に行き当たりました。

ところで何故、九十九里の浜は砂が黒っぽいか知ってますか?
どこかの誰かが言ってたんですけど、砂鉄が多く含まれているからだそうです。確認していないので定かではありませんが、そう言うことにしておきます。 


2010.2/1訂正。
どうやらここは九十九里町作田海岸であることが、今年の一月の旅行で分かりましたので、今までの九十九里方面のカテゴリーから山武郡九十九里町へ。

このページの先頭へ▲
   

links

selected entries

recent comment

recent trackback

profile

search this site.

sponsored links

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM