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  • 2017.02.11 Saturday
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多古町を歩いた7最後歴史民俗資料館

 珍しく本当に歩きながら撮った多古町もこれが最後です。大通りから少し入ったところに、

多古町歴史民俗資料館がありました。

こんな外観です。

見学は教育委員会に連絡しないといけないので、見れませんでした。

資料館の隣はntt多古電話交換センタです。センターではなくてセンタとなっていましたので間違いではないです。

全く持ってどうでもいい事ですが、この資料館の外観は食品工場のようだと思いました。この中でお稲荷さんとか作っていそうです。

さてこれで多古町を終わるわけですが、完全に失敗の回だったと回想します。一つずつぶつ切れの写真で、千葉県では特色があるだろう多古町の街並みが皆無でした。こんな所が私のセンスの無さなんだと思いました。
次は千葉県ローカル鉄道をやります。

多古町を歩いた6食堂前公園

 ここは本当はなんと言うのかは分かりません。食堂の建物の角にあった小さい公園です。

井戸がありましたが、この水は飲めないようです。残念。

しばしこの多古町歴史散策の看板を見て考えます。うーん。違うコースのほうが良かったかな?とは言うものの、もうこれで行くしかありません。

次回で多古町散策最後です。

多古町を歩いた5多古町役場

多古町の五回目は役場です。とりあえず遠巻きから撮って移動です。

ここらあたりで今回の多古町歩きの失敗に気が付きました。これは最後の回に言います。

多古町を歩いた4千葉県最初の郵便局

千葉県で最初の郵便局は多古町に出来ました。その二代目の建物が今でも現存しています。この建物は昭和17年のものだそうです。

ここは随分以前にも載せていますので、簡単にすませます。

もう少し多古町めぐりのお付き合いをお願いします。

多古町を歩いた3木内家

前回のわぁーかーちぃーとから歩を進めれば突き当りにこんな家がありました。有形文化財の木内家です。
 昭和初期(昭和4-6年)に建てられた米穀商木内家は、町中で県道が四方へ分岐する要地にあります。道路に面した店舗から、倉庫(蔵)、住宅と奥に続く町屋建築で、米俵を火災などから守るため、壁面は大谷石積みの堅固な造り。この地域の近代商家建築の展開をよく示しています。寄棟造総2階建て、石積みの外観をもつ住宅は外開きガラス窓の洋風デザインです。
平成11年、登録有形文化財となりました。
なのだそうです。

地味な正面とは違って横は石の作りがモダンだと思いました。

多古町も二桁更新となり目標達成ですが、あと四回は多古町歩きをやります。

多古町を歩いた2わぁーか ちぃーと

前回の八坂神社から近い場所です。多古仲町バス停前に

この謎の施設いきいき健康サロンわぁーか ちぃーとがありました。外窓には千葉県にゆかりのある歌手のポスターが沢山貼ってありました。これはなんだろう。中は高校生のたまり場?みたくなっているし・・・。と言う事で調べてみれば、平成24年4月2日に「いきいき健康サロン多古 わぁーか ちぃーと」がオープンしました。町民みなさんの交流スペースとしてご活用ください(多古町のホームページより) と言う事で多古町営の休憩所でいいんでしょか。
中に入りたかったけど、一眼レフを持ってここには入れないし、外から急ぎで撮りました。

全体では演歌のポスターが多かったのですが、このポスターが目につきました。匝瑳市ご当地アイドルとあります。

どうやらs★cuteと言うらしいです。

がんばれs★cuteと言う事で、次に向かって歩き出しました。

多古町を歩いた1八坂神社

いつもは車で移動してなにか気になるものがあれば車から急いで降りて、急いで撮って即移動のパターンですが、ここでは車を止めて多古町の中心部を歩いてみました。あまり知られてはいませんがここは古い町並みが残っていて、コンビニなどの新興の店は皆無で未だに多くの個人商店が頑張っていて、私のような素人からするととても珍しい形態の街だと思います。
かつては多古藩の中心部だった場所ですよね?
その多古藩とは?小田原征伐後、関東に入部した徳川家康は、下総国香取郡に保科正光を1万石で入れた。これが多胡藩の立藩である。そうです。途中は色々とあったようですが明治4年(1871年)の廃藩置県で多胡藩は廃藩となる。その後、多胡県、新治県を経て、千葉県に編入された。なのだそうです。
さて歩いた順番で始めます。八坂神社です。ここのお祭りは多古祇園祭りとして盛り上がるそうです。

しかし神社としてはこじんまりとしていました。


小さくともこぎれいにまとまり、掃除も行き届いていました。


神社の近くにあった何かの店です。

とりあえず急いで多古町をやって、その後には千葉県ローカル鉄道をやりたいと思います。



多古町染井 桜宮自然公園

 多古町を当てもなく車を走らせていたら、この公園にたどり着きました。なんとも懐かしい場所です。かれこれ四年前位に私はここに来ていました。そしてあまりの不出来写真でしたので、今まで載せずにいた場所です。コンパクトカメラから一眼レフの違いはあれど、今回は少しはましに撮れたので載せます。今年の春の写真です。

里山を生かした自然公園です。日本の里池里山30選入選だそうです。

地味だけどこういう場所は好きです。

ちょっと暗くなってきていて、写真を撮るには苦しい状況です。

ならば部分撮りに変更です。

池には蓮が咲いていましたが少し遠いです。

何とか近くで咲いているのを見つけて撮りましたが、足は泥だらけになりました。

多古町の写真もかなり残っていて、いつものようにぶつ切りで出そうか、まとめて出そうか、などと考えているうちにいつの間にか古びた写真になってしまうのがいつもの私のパターンです。

多古米のふるさと

 千葉県にお住まい方ならば、多古米は知っている人が多いと思います。そう言っている私も多古の米は美味しいと自信を持っています。なにせ江戸時代には幕府献上米となり、昭和でも天皇陛下献上米になっています。昨日今日出てきたブランドとは違います。何故にここの米が美味しいのか?とちょっと調べてみれば、土壌と水質がいいと、当たり前の結論が出ますが、それとともに生産している方々の努力があるのだと思います。農薬を使う量を減らすだけではなくて、毒性の強いものは使わないそうです。

多古米の子供です。

まだ春の時でした。

さて、ここで少し疑問があるのです。多古米は有名ですが、品種はなんなのか伝わってこないです。魚沼産こしひかり、みたいに多古産〇〇みたいになればいいのになとか、いっそのこと無理やりでも改良種を作って、多古一番略して、たこいちみたいなブランドを作ればいいのではないか。などと外野から大きなお世話の発言でした。すいません。

多古町やすんば

 多古町郊外を車で走れば、この看板が目につきました。何枚もの看板通りに田んぼ道山道を進めば

やすんば自然園にたどり着きました。

なんなんだろうこれは。

ウエルカムと書いてあるのを、真に受けて入ってもいいのだろうか?
ここで、すいませーん見学してもいいですか?と言ってみましたが誰も居ないようです。何か恐ろしくなってきました。

後で調べてみれば、建築家の方が一人で造り上げている庭園と自然公園のようです。一般の公開日も限られているそうです。中は素晴らしい庭園のようです。

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