義民ロードって知ってますか? 私はこのブログを始めるまでは知らないで、この宗吾参道駅などは名前に興味があって単独で写真が残っていました。そして最後のじんべえの森は個人的にお気に入りの場所で、何かにつけてここに立ち寄っていた時期があるので写真はばらばらに撮影したものになります。その後に義民ロードの存在を知り、他の場所も寄って一応全部を見てきました。
さてその義民とは?
佐倉 惣五郎(さくら そうごろう、慶長10年(1605年)? - 承応2年8月3日(1653年9月24日)?)は、
江戸時代前期における
下総国印旛郡公津村(現在の
千葉県成田市台方)の
名主。姓は木内氏、俗称は宗吾。 江戸時代公津村は
佐倉藩領で、惣五郎は藩主
堀田氏による苛政を
藩や江戸役人、
幕府老中にも訴えたが聞き入れられなかったことから、
1653年(
承応2年)
上野寛永寺に参詣する
将軍徳川家綱に直訴した。その結果、藩主の苛政は収められたが、惣五郎夫妻は
磔となる一方、男子も
死罪となってしまった。その後、惣五郎は堀田氏に祟るようになり、堀田氏は
改易となったという。しかし、資料では惣五郎が一揆や直訴を行ったという記録はない。江戸時代中期以降『地蔵堂通夜物語』や『東山桜荘子』などの物語や芝居に取り上げられ、
義民として知られるようになった。 ウィキペディアより。とまあ何とも凄いお方です。
そして義民ロードとは?
佐倉宗吾350年のご遠忌を機に、京成宗吾参道駅から宗吾霊堂・麻賀多神社・宗吾旧宅を経て甚兵衛公園に至る7kmのみちを、義民ロードとして道標案内看板が平成14年10月に整備されました。とこれで義民ロード基礎知識とします。
スタートは京成電鉄宗吾参道駅。
駅周辺はこんな感じで商店すらありません。秘境と言えば秘境の駅です。2008年度の1日平均乗降人員は2,562人で、京成線内で64駅中第61位です。主な利用客は東京学館の生徒と京成車両整備場の人たちですね。
酒々井ちびっこ天国はこの駅から山の上に登った場所にあります。
そして駅の逆側のこの門をくぐって義民ロードはスタートとなります。
しかし、佐倉のために命を投げだし、その名も通称佐倉惣五郎となのに義民ロードは成田市が大半でこの駅は酒々井町なのは納得がいきません。と硬いことは無しにしましょう。
これはシリーズで続きます。