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  • 2017.02.11 Saturday
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佐倉ふるさと広場の青空

 前回の流山が天気に恵まれず、苦しい写真が多かったので、今度は反転して青空の写真を選びました。実際にはこんなに青くはありませんが、順光の見上げで撮って、更にカメラの設定を寒色のほうにふっています。

今年のコスモスの時期に行ったのですけど、コスモスの写真を出さないのが我流です。こうやってせこくやっていけばネタには困らないです。
これがブログを長く続けるコツだと心得ています(完全に自己流です)

佐倉の牛

ここは佐倉市の上別所だと思います。放牧されている牛がいました。

これを大自然の中でのんびりしている風に撮ろうと頑張ります。しかしいささか無理があるようです。

千葉県は酪農では全国三位です。がこれは食肉牛ですね。たまーに乳牛の放牧のようなものは見ますが、食肉牛のはあまり見ません。

千葉県のどんな地味な場所でも取り上げる。と言えば聞こえはいいですが、ただ思いつきで載せているだけです。
そういえば今年は花火に行きはぐれてしまいました。皆様は夏の楽しい思い出は出来ましたでしょうか。私は例によって何もないです。

ユーカリが丘

 ユーカリが丘で車を走らせていると急に写真を撮りたくなって車を止めました。

その時は気が付かなかったですが、後で自分の写真を見てみれば納得でした。あの忌々しい電柱電線がここでは見えないです。まさに何も考えていないで感性(ようは馬鹿)優先の私らしい写真です。


最近漫画のおいしんぼで焼酎新時代を読んで、感化されて飲んでみましたが、何が新時代なのか分かりませんでした。臭みが少ないだけで焼酎は焼酎ではないですか。新時代などと言うから物凄く期待が膨らんで飲んだ分、ややがっかりでした。
完全にユーカリが丘から話は飛んでしまいました。

佐倉臼井 太田図書の墓。

 佐倉市臼井の臼井城址公園の奥は佐倉の山村みたいで道も昔のま狭い道のままです。車で走りづらいですけど、静かでいい所です。

その道の傍らにひっそりと太田図書の墓があります。図書とは太田道灌の弟です。室町時代の足利氏と上杉氏との戦いで上杉方の太田はこの地で急襲にあって討ち死にしたそうです。


なんとも地味な回ですが、千葉県を売り?にしているブログですのでこう言う場所も取り上げていかねばなりません。
今回は久々パナソニックg1で撮った写真で、2011年の秋のものです。

ユーカリが丘七夕

 この時期にどうして七夕の写真を出すかと言うと、とりあえずただ更新を止めないために簡単に一枚でもと探してみたら、ここに行き当たりました。

千葉県の方でもユーカリが丘を知らない人も多いでしょうが、皆様の想像よりも凄い街かと思います。

佐倉市将門伝承桔梗塚

 千葉県の古い場所を見ていると平将門の名前が幾度と無く出てきます。このブログでも市原市と我孫子市で縁の写真を載せています。私の理解している平将門とは都に逆らって千葉県を中心に勝手に帝になった人なのですが、詳しくは分かりません。大体はウィキで見てください。そしてかねてから将門の地名のこの地が気になっていましたので行ってまいりました。そこで目についたのがここです。

畑の中に大きい木と何かがあります。


この木がすごく大きいです。この時小雨が降っています。

その下の碑は伝承桔梗塚と書かれています。

簡単にネットで調べてみると、将門の生地とか奥方の墓とか古墳とか色々言い伝えがあるようですが、奥方が桔梗と言う名だったようで、そのお墓がここのような気がします。そして彼女の裏切りにより将門は討たれたそうで、この地には桔梗が咲かないそうです(また間違った解釈をしているかも)
このような難しい話は私には理解できません。
このようなものは県とか市の文化財のものが多いですが、ここは立て看板がないのが不思議な場所です。木は大きいので昔からあったような感じですが、石碑の裏には昭和56年と書いてあります。
よく分からないのでこのまま終わります。

祭りの後の印旛沼

 今年の夏の花火大会の後、うまく撮れず納得が行かない私はなんでか暗い印旛沼を無理やり撮りました。ふるさと公園の風車が見えます。点々とした光は祭りのちょうちんです。

ブログにアップすると暗くなります。

こんなのですが真面目に撮ったので今更載せてみます。

今更佐倉の花火。大失敗。

 8月4日の佐倉市民花火大会のものです。もしかしたら印旛沼花火大会のほうが通りがいいかもしれません。印旛沼の一角に陣取った私は気合入りまくりで三脚を二つにキャノンx4とパナソニックg1にそれぞれリモコン(ケーブルのついたやつ。便宜上リモコンと言います)を装備して準備万端です。なにせ偶然出合った花火を別にすれば、一昨年の我孫子花火大会とこの日で二回目の花火撮影です。

なのですがどうもうまくいきません。

何枚撮ってもこの煙が邪魔をします。

こう言った場面では粘り強い私ですが、

とうとう最後の一発まで煙に塞がれてしまいました。

これは決して自分のせいではない。煙がいけないんだとしたいところですがこの場所を選んだ失敗を棚に上げています。
こんなのでも真剣に撮って写真の出来よりも記憶に残るものなので載せます。


佐倉市馬渡3八坂神社

 佐倉市馬渡三回目です。まわたし宿百観音と地続きです。この歩き方だと裏から見ていますのでなにか不自然のようですが、写した順番で載せます。

たけのこです。春の写真です。


山の細道を下れば社殿がありました。

狛犬です。

坂の上にあります。

こうして見ると結構雰囲気のある神社です。

ここで分かった八坂神社です。

そして前は旭松の酒造所になります。

これで馬渡を終わりますが、旧宿場町の様子も撮りたかったのですが、観光地ではないし、文化財でもなさそうでいわば普通の民家だし、主婦の皆さんの立ち話などでどうも撮らないほうがいいかとの判断ですが、なんかいい所でした。

佐倉市馬渡2下総まわたし宿百観音

前回の酒造所のすぐ近くに下総まわたし宿百観音があります。説明書きの看板が平仮名でまわたしと書いてあったので、ここでもまわたし宿とします。

では参りましょう。

秩父34観音、坂東33観音、西国33観音合わせて100観音です。

まわたし宿は江戸時代に北総地域で最初に幕府の役所が置かれ役人旅人で栄華を極め、多くの宿屋酒場があったそうです。

右側が坂東33観音で左が秩父34観音です。

坂東一番は鎌倉市の杉本寺です。あとは省略しますが、千葉県のお寺では27番銚子円福寺、28番成田滑河の龍正院、29番千葉寺、30番木更津高蔵寺、31番長南笠森寺、32番いすみの清水寺、で最後の33番は館山の那古寺です。ちなみにこの7寺のうちで行ったことが無いのが高蔵寺と清水寺で後は行ったことがあります。円福寺だけは未掲載です。近々載せると思います。あと二寺は見に行く予定です。

坂東33観音と秩父34観音を右に曲がれば西国33観音です。

そして頂上は大日如来です。


傍らに正岡子規の句があります。月寒し、宿とり外す独り旅と書かれています。隣の看板を読むと明治34年に成田山詣で東京は本郷を徒歩で出発して二日目にこのまわたし宿に宿泊し、旅行記にこの句が記されているそうです。この時子規は病気だったそうです。病をおして二日目に東京からここに到着すとは想像ができない位に凄いです。

こんな路地にも歴史ありだと感心する場所でした。馬渡をもう一回載せます。


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